
2006年8月、オーストリア共和国・ウィーン市で開催される、ヨーロッパハンドボール連盟主催「ハンドボール指導者講習会」に、行って来ました。このページにて、欧州の現状やハンドボール事情を説明します。
現地でホームページを作成し、現地からアップロードしたものです。ご覧頂き、ご意見を頂ければと思います。
8月16日(火) / Dienstag, d. 16,August
いよいよ、出発の朝です。何回となく行っている所ですが、緊張します。
飛行機は、チェック・インはしたものの、搭乗していない3人の荷物を、保安上降ろす作業があったらしく、約15分遅れて成田空港を離陸しました。
今、飛行機の機中から、無線LANを使ってホームページをアップロードしています。・・・・・そんな時代になってしまったのですね・・・・・ちょっと感慨深げ・・・・・
さて、機中からの写真をいくつか。



空港離陸直後 日本海上空の積乱雲 日本海上空 シベリア大陸上空
ここの所、飛行機から下を見たことがあまりなかったので、ちょっと感激しました。見方を変えれば見え方も変わるのですかね?これから、行くドイツでは、日本と同じく間もなく総選挙があるようです。社会民主党と緑の党の連立政権でしたが、保守政党もびっくりの「改革」、と言ってもドイツの場合は「Rentenreform」といって、「年金改革」です。昨年夏より、特に旧東ドイツでは大騒ぎでした。(ドイツは、郵政民営化をしてしまっていますので)昨年夏に、今回も行く旧東ドイツのハレに行った時、市民の年金改革反対デモを目の当たりにしました。連邦首相のゲアハルト・シュレーダー首相はどうするのでしょうか?もうひとつの話題は、ローマ教皇・ベネディクト16世(ドイツ出身の元ラッツィンガー枢機卿)が、教皇就任後初の訪問国としてドイツに来ることになったと言うことでしょうか。ドイツのケルン(世界史の教科書にも出てくる大聖堂がある
ライン川下流の大都市:オーデコロンは、ケルンの水という意味のフランス語だということを知っていましたか?)で、カトリック青少年の集いが開催されるからなのですが、ドイツはご存知の通り、国民の半数はプロテスタント(ドイツ語ではエヴァンゲリッシュと言うが)の国。それ故、前教皇ヨハネ・パウロ2世が祖国ポーランド(ポーランドは国民のほとんどがカトリック教徒、しかもとても敬虔です)に帰るのとは違いかなり冷ややかな眼もあるようです。
本日は、14:00頃(日本時間、16日21時)フランクフルト着の予定なので、空港そば(でもなかったが、安くてきれいで広いのでまっいいか?!)の安宿に荷物を置き、ドイツ自慢の新幹線(ICE:イー・ツェー・エー,時速350キロ)で、先程の町ケルンに行きました。
新幹線は、ユーレイルパスの関係で、1等車でしたが、日本と違って各座席にコンピュータ用の電源
コンセントがあるのです!この、文章は、新幹線の車内で打っています。そして、何と言っても日本と大違いなのは、携帯電話(ドイツ語で、Handy または、Mobile)を車内で使っても良いのです!それどころか、車両の2両に1両は携帯電話がつながりやすいようになっているのです!何としたことでしょうか?!
ケルン中央駅に着くと、何と、今日は、ワールド・ユースデー(Welt Jugend Tag)の真っ最中でした。これは、キリスト教のカトリックの世界の青少年のお祭りで、就任直後の、ローマ教皇・ベネディクト16世も来て、ケルン中央駅近くのライン河畔で野外ミサを行うのです。中央↑ICEの車内(手前は作業中の私のLaptop)駅の中や駅前(ケルンの大聖 堂がある側)には世界各地から若者がたくさん集まっていました。若者達は集団を作り、国旗を持ちながら歩いていたり、あちこちで歓声をあげていました。テレビや新聞雑誌でも特集が組まれ、列車も特別ダイヤで国を挙げての大騒ぎです。

←ヨハネ・パウロ 2世と、現教皇・ベネディクト16世の写真がビルの壁に~大聖堂前





ケルンの大聖堂前には若者が黒山の人だかり 大聖堂の中 駅のポスターにも教皇が ドイツの駅のゴミ箱


列車ごとの時刻表とドイツ新幹線ICE-3
8月17日(水) / Mittwoch, d. 17,August
さて、時差ボケも少しある中、いよいよ、旧東ドイツ領内にあるハレ アン デア ザーレ(Halle an der Saale;ザーレ川に面するハレと言う意味)に向かいました。電車(DB:
デーベー: ドイツ鉄道株式会社,ドイツも日本の真似をして国鉄を民営化したが、分割せず、全国一括して民営化した。ただ、地域ごとの鉄道会社もできている→不採算路線を中心に運転している)では、新幹線(ICE)を使っても直通列車は極めて少なく、必ず1回は乗り換えになるので、重い荷物を考えると、飛行機で直行することにしました。



フランクフルト空港では、珍しく「沖乗り」でした。途中、機内からはドイツご自慢の「風力発電」用の大きなプロペラ・タワーも見られました。いよいよ、ライプツィッヒ・ フランクフルト空港 風力発電 ライプツィッヒ・ハレ空港
空港の近くの空地には、旧東ドイツ時代の国営航空会社「インター・フルーク」の飛行機が置いてありました。どうも、旧東側の人々にとっては、なかなか西側になじめず、ひそかに旧東ドイツ時代を懐かしむ傾向があるようです。それは、東西合邦しても(法律的には、DDRが旧西ドイツの憲法に従うことになった。わかりやすく言えば、東側が西側に吸収合併された)、いまだに旧DDR側では社会資本整備のための工事が続いておりますが(まあそれだけ、社会資本が西側より遅れていたわけなのですが)、一向に暮らしぶりは良くならない。しかも、いつもドイツのお荷物のような扱いを受けていますが、旧DDR側の人々にはこれがどうも納得いかない。
これは、「旧東ドイツ時代(DDR:Deutsche Demokratische Republik;ドイツ民主共和国)は物資は西側程豊かではなかったものの、精神的(学術、スポーツ)には、西側より優れている(少なくとも劣ってはいない)」のだという考えが根底にあるからではないかと思います。アメリカ文明ばかりを賞賛し、アメリカの政治に追従しながらも、「自国の歴史のすばらしさを見直そう」という為政者がいるどこかの国の姿を見るにつけ、旧東ドイツ住民の気持ちが良くわかるような気がします。
さて、話は戻り、ハレ空港で、マチアス・ズィーベルト氏に会い、車で市内のホテルまで送ってもらいました。更に、Japanologie(ヤパノロギー:日本学)を大学で勉強しているお嬢様(Jane)さんを乗せて、ハレの旧市街にある彼の仕事場(彼は、MDR:中部ドイツ放送に勤めています。何年か前に、ハンドボールの「ジャパン・カップ」を横浜で開催した際に、S.C.マグデブルクの一員<カメラマン>として日本に初めて来たのでした。その時、私がドイツ語の通訳をしていて知り合ったのでした。
それから数年たった、2003年の春、突然自宅に電話がかかり、「これから、娘と一緒に日本に行くので、会えませんか?」とのことでした。大変驚きましたが、彼のことはうっすらと覚えていましたので、快く応じ、恵比寿のビア・ガーデンに連れて行きました。そして、翌年の夏、いよいよ彼のいるハレ行き、再会を果たしました。今回は2回目の訪問になります。







マチアス・ズィーベルト氏 今回泊まったホテル 建設中の町 ズィーベルト氏の会社 大聖堂 マルクトプラッツ(市場)には噴水が
夜は、ズィーベルト氏が「内緒の所」に連れて行ってくれるということで、楽しみにしておりました所、何と!ハンドボールのカップを見せに連れて行ってくれました。ハレの街中から車で約1時間の所にある、Köthen (ケーテン)と言う町です。そこには、「85ケーテン」というハンドボールのクラブチームがあり、そのクラブチームが企画してカップ(大会)を開催していました。パリのクラブチームと、スウェーデンのクラブチームがドイツ以外の「外国」から呼ばれ、その他に4チーム(ケーテン85も含む)が参加して行われました。
試合のしかたは、2つのリーグを作り予選リーグ戦を行い、続いて各リーグの1位どうしが優勝決定戦を、2位どうしが3位決定戦を、3位どうしがビリ決定戦を行うといったヨーロッパ方式です。優勝は、パリ。準優勝はスウェーデンで、ケーテン85は残念ながらビリ決定となってしまいました。しかし、
試合は白熱し、どのチームもドイツ・ナショナルの戦術であった「テンポ・シュピール」を使っていました。




今回の大会の案内板↑
←地元のテレビ局の取材
ケーテン85のホームの体育館はヨーロッパの体育館らしく小さなものでした。←優勝したパリのクラブチーム
入場券の売り場では、クラブチームのグッズも売っていました。
8月18日(木) / Donnerstag, d. 18, August
さて、今日はどこに行くのでしょうか?無責任な言い方ですが、すべては、マチアス・ズィーベルト氏が企画してくださっているのでお任せしているからです。
まずは、ハレ市中央を流れているザーレ川を遊覧船で巡りをしました。





これから、町の中央を流れる「ザーレ川」の遊覧船に乗って45分間の小旅行をして来ます。
8月19日(金) / Freitag, d. 19,August
今日は、ドイツ・ザクセンアンハルト州(州都マグデブルク)の自然公園ヴェルリッツと、ドイツ宗教改革の父であるマルティン・ルターがいた、その名も「ルーテルシュタット・ヴィッテンベルク」に行って来ました。
世界史の教科書にも出てきますが、ルターは1517年にこの地のSchloßkirche(城内教会)に「95ヶ条の論題(95 These)」を貼り出し、ここに「宗教改革」が始まりました。カトリック教会の「免罪符」に反対し、聖書に回帰しようと呼びかけたのが始まりでした。彼らは、日本ではプロテスタントと呼ばれていますが、ドイツではエヴァンゲリッシェと言われています。
その後は、新教(プロテスタント,エヴァンゲリッシュ)対旧教(カトリック)の戦いと言うよりは、領土拡大の野望を持った諸侯同士の宗教に名を借りた戦争へと突入していき、国土は疲弊してしまうのです。この戦争を「30年戦争(Dreißiger Krieg)」と呼んでいます。当時は領主がどちらの宗教を信じるかで、領民の信仰も決まってしまい、それで、戦いとなったのです。






① ② ③ ④ ⑤ ⑥
ルーテルシュタット・ヴィッテンベルクの町並みと、ルターのゆかりの場所
左から、①市役所,②ルターが「95ヶ条の論題」を貼り出した教会,③と④「95ヶ条の論題」が貼り出された扉(当初は木製であったが、その後の戦乱で焼け落ち、現在は金属製の扉になっている),⑤ルターが生活していた修道院(彼は、カトリックの僧であったにもかかわらず、結婚し、子供もたくさんいた),⑥ハレで宿泊していたホテルのロビー
8月20日(土) / Samstag, d. 20, August
思ったより、インターネット環境が悪く、有料だったり、うまくつながらなかったりと苦労しております。
本日は、ベルリン,ドレスデン,ライプツィッヒとまわって来ました。疲れだけが残った感じです。







① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦
左より、①おなじみの「ブランデンブルク門」写真を撮っている側は、旧東ドイツ側で、昔はここまで入れなかった。,②ベルリン名物(今では日本でも?)の「ベロ・タクシー」,③東西分裂時代は、「壁」があり分断されていた「ポツダマープラッツ」には、ドイツ鉄道(DB)本社と、ソニービルが林立し、大変身しました。,④ベルリンの日本食店でいつも行くのは、デパート「カー・デー・ヴェー(KaDeWe)」の7階のすし屋ですが、今日はご主人がお休みらしいので、かつて、ご主人に紹介された別の日本食屋「宝」に行きました。「すし定食」味噌汁小鉢つきが、なんと10オイロ(ドイツ語では、ユーロではなくオイロと読む)でした。,⑤ドイツの新幹線の第3世代(ICE-3)の車内。自分の部屋のような感じのセミ・コンパートメントがある一等車,⑥ICE-3の外観,⑦ライプツィッヒの市庁舎(左右非対称形の建物が珍しいが、残念ながら工事中で全体が写せなかった。)
8月21日(日)と22日(月) / Sonntag, d. 21, und Montag, d. 23, August
「永遠の都ローマ」を紹介しましょう。テロに遭うかも知れないと思いながら地下鉄に乗り、テルミニ駅(中央駅)にも行ってきました。美しかったのは、近代イタリアを統一した「ビットーリオ・エマヌエーレ2世 記念堂(略称:ビットリアーノ)からの眺めでした。彼の子ビットーリオ・エマヌエーレ3世は、独裁者ベニート・ムソリーニを政権につかせた国王でしたが、父君の2世は、宰相カブールを登用し、ガリバルディの協力を得ながらイタリアを統一した王として現在も尊敬を集めているようです。彼の銅像はミラノの中心ドゥウォーモ前にもあります。


ヴァチカン市国のサン・ピエトロ大聖堂 サン・ピエトロ大聖堂の屋上から見たサン・ピエトロ広場





左の写真より、初代教皇ペトロ座像,ピエタ,教皇の衛兵は伝統的な服装に身を包んだスイス兵,サン・ピエトロ広場は360°のパノラマ




左の写真より、ペルージャ出身のローマのタクシー運転手はとても明るいイタリア人だった, ローマの中央駅「テルミニ」, 何と言っても「エスプレッソ」はおいしい!私が知っている限りでは、イタリア本場のエスプレッソを飲ませてくれるのは、神奈川県津久井町青山のビザ屋「ドリーム・ファーム」だけ!, トレビの泉(もちろん、泉に背を向けてコインを投げて来ました。)



左の写真より、ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世記念堂(略称:ヴィットリアーノ・・・1861年近代イタリアを統一したサヴォア出身のヴィットリオ・エマヌエーレ2世を記念して建てられた), イタリア王国初代国王・ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世, ヴィットリアーノの内部はとても高い天井に驚かされる。



左の写真より、有名な円形競技場・コロッセオ, スペイン広場, スペイン広場の階段を登りつめて見下ろすと、コンドッティ通りが見える。




左の写真より、真実の口, 真実の口があるサンタ・マリア・イン・コスメディン教会, ローマ・テルミニ駅で発車を待つイタリア国鉄(FS:エフエッス)のローマ国際空港行きの特急列車, トマトとモッツァレーラ・チーズのサラダ(本当にうまかった!)
ウィーンへの道 / ウィーン空港




左の写真から、ウィーン郊外の村(ルフトハンザ・ドイツ航空機内より), ウィーン・シュヴェヒャット空港, ウィーン空港はのどかな田舎の空港ですがおしゃれにできています, 先にホテルにチェックインし、再度空港に秋田大学・佐藤
靖先生や大学院生をお出迎えに上がりました。
ウィーン市内





写真左から、ウィーンの市電とともに, ウィーンのカフェー・ザッハーにて, ザッハーで頼んだメランジェ(ウィンナコーヒー)には水がついてきます。(ヨーロッパでは水が無料でついてくること自体とても珍しいのです), シェーンブルン宮殿, 宮殿内にある日本庭園(できたのは何と明治時代初期とか)





写真左から、映画「第三の男」で有名な大観覧車, 市立公園内にある、モーツァルト・デンクマール, ウィーン市電の新型超低床式市電, 私が初めてウィーンに行った時に利用した町中のレストラン「フンメル」, ウィーン市内中心部と我々のホテル、試合会場、懇親会会場を結ぶ郊外電車バーデナー・バーンは路面電車の色違い
8月23日(火)と24日(水) / Dienstag, d. 23, und Mittwoch, d. 24, August
EHF Trainerkurs in Wien Österreich
Österreich(オーストリア)の首都、Wien (ウィーン)のBrunn(ブルン)でEHF(ヨーロッパハンドボール連盟)主催の青少年指導者養成講習会に出席しています。
この講習会には、何と現在ノルウェイ留学中の元全日本代表選手で筑波大学女子ハンドボール部主将だった、山田永子さんも参加しておりました。





① ② ③ ④ ⑤
① EHFの重鎮(指導委員会委員長)のフランチセック・タボルスキ氏(チェコ)
② 全日本女子監督と、EHF講習会講師資格保持者(Lekturer)のベルト・バウアー氏(オランダ)
③ 今回のメインとなる講師、Mocsai(モチャイ)氏 → ドイツ・ブンデス・リガ一部の弱い「TBV レムゴ」をブンデス・リガ優勝・常勝
チームに育て上げたハンガリー体育大学教授。テンポ・シュピールの生みの親!
④ 講義を行った、ホテル・ベック(Böck)の大広間
⑤ 午後は、このホテルから市電で2駅の「ヴィエナー・ノイシュタット(Wiener Neustadt)」駅近くの体育館で、オーストリアのU18
男子ナショナルチームを使って実技講習を行いました。特に前述のMocsai氏の実技講習はためになりました。
→相模原ハンドボールクラブの練習会で紹介します。
8月25日(木) ~ 27日(土) / Von Donnerstag, d. 25 bis Samstag, d. 27, August





① ② ③ ④ ⑤
① OK(Organisations Komitee: 組織委員会)のメンバー(左は委員長のクリストフ ホーグル氏)と秋田大学・佐藤先生。
② 講師のMocsai(モチャイ,ハンガリー)氏とともに。
③ 左2人目より、クロアチアの大学教授・Neven Hrupec(ネヴェン フルペック)氏,ブルガリアの大学助教授・イヴァン ヨトフ氏,クロアチアのフルペック氏のアシスタント,秋田大学・佐藤 靖先生
④ 中央は、体育科教科教育や運動学の著作が多く日本でも翻訳されている有名人・ウィーン大学教授のKönig(ケーニヒ)氏,その両隣は秋田大学の大学院生,ケーニヒ氏の前列の隣はポルトガルから来た講師のCruz(クルーツ)氏。
⑤ キプロスから来た受講生。とても明るく人懐っこい。秋田大学の大学院生とともに。
Mocsai(モチャイ)氏の実技講習会





① ② ③ ④ ⑤
① 体育館には、「ボールゲームの部屋」「体操競技の部屋」「その他」と細かく分かれていました。
② 会合の部屋にも使った食堂。
③ Mocsai氏(ハンガリー体育大学教授,ハンガリー・ナショナルチーム監督,ドイツのブンデス・リガ1部の
TBV レムゴの監督等を歴任)
④ Mocsai氏がモデルに使った女子チーム<奥>
⑤ Mocsai氏と司会のFröschl(フレーシュル)氏
← 山田永子さんも参加されておりました。
山田さんの留学先ノルウェイ(ノルゲ)から来た青年と共に
(山田永子さんは彼のことを知らなかった)
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